克己堂跡(旧阿月小学校)・・・阿月の領主 浦靱負が1842年(天保13年)家臣の子弟教育のために造ったものです。
赤祢武人屋敷跡・・・1838(天保9)年桂島に生まれ、1年間月性の指導を受け、1853年克己堂に入学しました。3年後松下村塾に入門し、奇兵隊総督に就任し、下関で外艦と戦いました。高杉晋作と意見が合わず、28歳で処刑されました。
坂田昌一の墓碑・・・日本を代表する理論物理学者です。正面は郭沫若の漢詩、側面には湯川秀樹博士の撰文を刻した銅板がはめ込まれています。
世良修蔵屋敷跡・・・周防大島の椋野に生まれ、月性の推薦で克己堂に学びました。奇兵隊・第二奇兵隊の幹部として活躍しました。その後、奥羽鎮撫で総監督参謀となり会津に進撃しました。34歳で仙台藩士福島薄士に捕えられ斬首されました。
白井小介(小助)屋敷跡・・・1826年(文教9)年に萩で生まれ26歳頃阿月に移住して浦靱負の家臣となります。第二奇兵隊の創設に尽力し、戊辰戦争では討幕軍参謀を務めます。