歴史遺産・史跡

阿月史跡めぐりマップ

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「もう一つの維新の里 阿月」

 

末維新期における阿月の偉人たち

浦元襄うら ゆきえ(靱負)
◇浦元襄(靱負)のこと靱負は、寛政7年(1795)に国家老であった国司就孝の次男として萩に生まれ、文化8年(1811)に15代房伴の養子となりました。天保6年(1835)に家督を継ぐと同時に、財政困難の状態にあった領地阿月の再建にあたりました。当時の浦家の家禄は約2700石でありましたが、借金はその数倍にも達しており、財政はほぼ破綻状態にあったようです。この窮地に弱冠23 才の秋良敦之助を重臣として登用し、質素倹約の徹底や塩田、養蚕などの殖産振興を図ることによって、10年あまりで借財はすべて完納しました。天保13年(1842)には家士の子弟教育を目的として、萩の明倫館とも並び称せられる学館「克己堂」を創設し、赤禰武人や世良修蔵など維新の立役者となる人材を多く輩出する場となりました。弘化4年(1847)に52才で江戸家老に、さらに安政5年(1858)には63才で国家老に登用され、慶応元年(1865)に官職を辞して家督を17代の親 教(ちかのり)に譲るまで、長州藩の重役として維新に貢献しました。



小早川 隆景

小早川 隆景は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名で竹原小早川家第14代当主となり後に沼田小早川家も継ぎました。 毛利元就の三男で、兄弟に同母兄の毛利隆元・吉川元春などがいます。竹原小早川家を継承し、後に沼田小早川家も継承して両家を統合し、吉川元春と共に毛利両川として戦国大名毛利氏の発展に尽くしました。